Realistic Fantasie

薬物中毒者(Intravenous Drug User = IVDU もしくは IDU)

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ヘロイン

アメリカでは、1960年代マリファナ(大麻)、1970年代ヘロイン(アヘンに含まれるアルカロイド=モルヒネから合成した薬物)、1980年代コカイン(コカの葉に含まれるアルカロイド)がはやったといわれています(Science 1986; 234: 970-974)。

1960年代中盤より、ヘロイン中毒人口が増え、1970年前後ピークに達しました。その後新規中毒患者や1970年代半ばと1980年代初頭にかけやや低いピークが見られました(Science 1986; 234: 970-974)。現在全米で40万ー60万人のヘロイン中毒者(junkie)がいるものと推定されています(Science 1986; 234: 970-974)。中毒者の多くは1960ー70年代に乱用を始めた人々で、新規中毒者の急増は低く抑えられ、年々中毒患者の平均年齢が上昇しています(Science 1986; 234: 970-974)。

ヘロイン中毒者は、密売地域にあるシューティング・ギャラリー(shooting gallery)で、注射器を借りヘロインを静注後、これをギャラリーに返します。ギャラリー管理人は、1本の不潔な注射器が何週間にもわたって貸し続けます(AIDS 1992; 6: 1053-1068)。シューティング・ギャラリーのない街では、売人(junker, pusher)が未消毒の注射器を客に次々と貸します。1970年後半より血液を注射器に吸い取りヘロインと混合しながらゆっくり静注する(boot)方法が、IDUの間で流行しました。この方法だと感染者の血液が注射器を介して他のIDUの体内に入るため、HIVがヘロイン中毒者の間に蔓延してしまいました。1979年、ニューヨーク・マンハッタンのIDUの血液サンプルの26%がHIVに感染していました(JAMA 1989; 261: 1008-1012)。HIVは1970年代半ばにニューヨークのIDUの間に侵入し、1979年から 1983年にかけニューヨーク都市圏に集中して拡大したと考えられています。IDUのエイズ患者の81%がニューヨーク州、ニュージャージ州、コネチカット州の住 民でした(Ann Int Med 1985; 103: 755-759)。1984ー87年、ニューヨークのIDUの55ー60%がHIVに 感染していました(JAMA 1989; 261: 1008-1012)。その根拠として1992年6月の段階で13歳以上のエイズ患者22万6281人のうち、IDUの患者が5万1477人(23%)を占めています(AIDS 1992; 6: 1229-1233)。

IDUは、ヘロインを入手すると一 刻も早く使いたいという衝動にかられ、清潔、不潔にかまわず手元にある注射器を使います。不潔な注射器は危険という認識はあるため、身近に清潔な注射器が あればこれを選びます(Ann Int Med 1985; 103: 755-759)。薬物中毒者が薬物を止めることができなければ、安全な方法で薬物注射をする(safe injection)か、経口麻薬(メタドン)を使用すること以外、中毒者の感染を防止することは困難です。

慢性ヘロイン中毒は再発性で治らない(終生離脱することは不可能)との前提に立ち、IDUにメタドン(経口用合成麻薬。ヘロイン中毒者が服用しても陶酔効果はほとんど出 ない)を積極的に与え、その麻薬を管理する治療法が1960年代にアメリカで試みられました(Arch Int Med 1967; 120: 19-24)。IDUの ヘロイン静注を止めさせ、ヘロインをめぐる中毒者の犯罪を未然に防ぐことを目的に、この治療は始められました。消化管から吸収されやすく効力が長いメタド ンは、IDUのヘロインの使用を防止することにきわめて有効でした(Arch Int Med 1967; 120: 19-24)。多数のIDUが 社会復帰を果たし、メタドン療法は思いがけない目ざましい効果を発揮して注目を集めたのです。

1970年代初めからメタドン維持療法(no injection)は急速に広まり、1987年までに世界中で10万を超えるIDUが メタドン療法を受けました。多数の中毒者がヘロインから離脱し、通常の生産的社会生活を営むことができるようになりました(N Engl J Med 1987; 317: 447-450)。しかし、メタドン維持療法から脱落する中毒者も多く、メタドンを中止する と中毒者がヘロインに戻るなどの問題点があります(Ann N Y Acad Sci 1978; 311: 181-189)。メタドンを投与することに対して、麻薬を広めるものとして強い懸念の 声が上がり、条例などでメタドン療法を非合法化したり、投与期間を限定したりする州や市もありました(N Engl J Med 1987; 317: 447-450)。

1980年代、不潔な注射器でヘロイン中毒者の間にHIVが 広がっていることが判明すると、感染を防止する方法としてメタドン維持療法は再び脚光を浴びました(JAMA 1989; 262:1664-1668)。注射器交換プログラムやメタドン維持療法など感染防止努力の結果、1985ー6年をピークにIDUのHIV感 染が減少傾向に転じたことが推測されました(Science 1991; 253: 37-42)。IDUのエイズ患者の 発生数も、1980年代末から頭打ち傾向を示しています(Sci Am 1992; 266: 20-26)。

コカイン

ペルーやボリビアで栽培されるコカ(Erythroxylon coca)の葉から抽出した塩酸コカインの粉末を、呼吸で吸うように鼻から吸い込むと興奮状態に陥ります。とめどなく話し続けたり、はしゃぎ 回ったりします。多幸感が強く、自信にあふれ、すべてを制圧したという感覚に満ち、性欲が高まり、周囲の環境が増幅され強烈に感じられます。2~3時間後、激しい抑鬱状態になります。中枢刺激作用が強く(薬理効果としては覚醒剤に非常に近い。覚醒剤より効果が短い)、多用(binge)するとコカインに対する心理的依存性が現れ、中毒となります。19世紀後半、アメリカでコカインをワインに混ぜて飲むことが流行しました(Sci Am 1991; 265: 20-27)。1914年、自由な売買が禁止されコカインの消費は減少しました。

1973年、SCDA(the Strategy Council on Drug Abuse)はコカイン乱用による重大な障害はなく、コカイン乱用による死亡者は確認 されていない、乱用で生じた問題で治療を要した人はほとんどいないと述べています(Science 1986; 234: 970-974)。1980年、コカインは安全で中毒性の少ない多幸剤であるという考えが依然としてありました。コカイン中毒に関する過去の記述は、マリワナの場合と同じく誇張されたものであると言われました(Science 1991; 251: 1580-1586)。安全で手軽な興奮剤という認識が広がり、1970年代後半から塩酸コカインの使用が激増しま す。1985年にはコカイン経験者が2200万人に達しました(Science 1986; 234: 970-974)。同年、過去30日間にコカインを使用したことのある高校生が6.7%に上りました。コカインを、 安価で純度の高いメキシコ産のヘロイン(black tar)と同時に静注する方法(speedballing)が 流行し、IDUの間でもコカインの消費が伸びたのです。

1985年頃から、塩酸塩を持たない(freebase)、 クラック(crack)と呼ばれる安価なコカインの結晶が市場に大量に出回る ようになりました(JAMA 1986; 256: 711)。これを加熱して出る煙状のコカインを水キセルを通じて吸い込むと、静注した時のような強い効果が得られる ため、爆発的人気を博したのです。1回に使用するコカインが少量ですみ、貧しい人や若者に手の届く価格となりました。クラックの出現で薬物の静注が減り、 ウイルス感染の減ることが期待されたのです。しかし、クラックの薬効が強いうえに安価であったため、クラック中毒が増加しました。現在では治療を要するコ カイン中毒者が100万ー300万人に上ると推定されています(Science 1991; 251: 1580-1586)。売人との性交によってクラックを入手する中毒者(特に10歳代の黒人女性)が増加し、彼らの 間で梅毒や淋病などのSTD(sexually transmitted diseases=性感染症)が多発し、HIVが 広がっています(JAMA 1990; 263: 851-855, AIDS 1991; 5: 1121-1126)。クラック窟(crack den)などで無防備な性交をして感染する中毒者も多数にのぼります(Lancet 1988; i: 1052-1053, Lancet 1988; ii: 965)。

インナー・シティ
1992年6月、5万1477人に達したIDUの エイズ患者の79%が、黒人とヒスパニック(スペイン語を話す中南米系移民)です。黒人やヒスパニックの住む大都市中心部(inner city=インナー・シティ)でHIVに感染したIDUやクラック中毒者が多く、異性間性交を介してインナー・シティの女性にHIVが広がっています(JAMA 1989; 261: 561-565)。若い女性キャリアの増加とともに、母子感染(感染率約30%)による小児感染者も増加していま す。小児(13歳未満)のエイズ患者3898人のうち、3315人(85%)が母子感染によるものです。その84%(2775人)が黒人とヒスパニックの 子供です(AIDS 1992; 6: 1229-1233)。

クラックとヘロイン、HIVがイン ナー・シティの黒人やヒスパニックの社会に深刻な脅威を与えているのに対し、ゲイを多数抱えるホワイト社会ではHIV感染の勢いが衰えをみせ、社会的階層によるHIV感染の不均衡が目立ってきました。エイズの重心が、社会的、政治的影響力をもつホモ(バイ)セクシュアル・コミュニティから、インナー・シティのIDUやドラック中毒者、そのセックス・パートナーや子供など、影響力をもたない弱者へと移動するにつれ、エイズ患者やキャリアに対する保健衛生行政のリベラルな態度が変化していることが指摘されています(AIDS 1992; 6: 527-532)。薬物問題や教育問題同様、エイズは解決不可能なインナー・シティのマイノリティの問題になったという 認識が広がり、エイズ問題に対するアメリカ社会の熱意が減弱しつつあるともいわれます。

1992年6月アメリカでの異性間性交による累積患者数が1万4045人となりました。その53%はIDUとの性交による感染です(AIDS; 1992; 6: 1229-1233)。IDUからセックス・パートナーに感染するのを防ぐことが防疫上重要となりました。セーファー・ セックスを実行することが望まれます。しかし、コンドームを使ったことのないIDUが 3分の2以上に上り、複数のパートナーを持つ人や、肛門性交をする人、売春をする人などが多く、セーフ・セックスは実際には容易ではありません(AIDS 1991; 5: 77-83)。IDUはセーフ・セックス より注射器の滅菌や共用防止のほうを受け入れやすいといわれています(AIDS 1991; 5: 77-83)。

1992年6月までに報告された患者で、女性(8524人)が男性(5521人)を上回るのは、異性間性交を介す る感染だけです(AIDS 1992; 6: 1229-1233)。これは、男性→女性感染の頻度が女性→男性感染より高く(JAMA 1991; 266: 1664-1667)、女性の感染者が今後さらに増加することを示唆しています。母子感染を通じて小児の患者も増加 するため、女性の感染を防止することが重要な課題となりました(JAMA 1987; 257: 2039-2042)。セックス・パートナーを選択し、その数を減らし、危険な性交(肛門性交など)を避け、コンドームを使用すること(Am J Pub Heaith 1990; 80: 460-462)が異性間性交感染防止の原則であるのはゲイの場合と同じです。


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